キッチン道具の担当者。元司書であることから、モノを買うときは納得するまで調べ尽くす性分。ハウジーではクラスコと一緒に100を超えるキッチン道具の比較や検証を実施。本当に気に入ったキッチン道具の紹介や「困った!」を解決する記事をお届けしていきます。
節分にまくものといえば、炒り大豆。
なぜこれで鬼を追い払えるのか、不思議に思ったことはありませんか?
また、イワシの頭やヒイラギを飾る昔ながらの風習や、一般的になりつつある恵方巻き(恵方寿司)の起源なども気になるところ。
今回は、元図書館司書のスタッフが、節分の起源やそれにまつわる風習の雑学について、いろいろと調べてみました。
【節分のナゼ1】節分ってそもそも何?
そもそも節分とは「季節の分かれる日」という意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指します。
なので、本当は節分と呼ばれる日は年に4回あります。
ではなぜ、2月の節分だけが伝統行事の日としてピックアップされているのでしょう?それは、4つの季節の中でも立春は、二十四節気の第一節気にあたり、旧暦では春が一年の始まりとされていたからです。
つまり、立春の前日である節分は、大晦日に相当する大事な日だったというわけです。
昔の日本では、「こういった大きな季節の変わり目には邪気が生じる」という考え方があり、邪気払い=鬼払いなどの儀式が行われるのが一般的でした。
節分のルーツは平安時代の宮廷行事「追儺(ついな)」
「追儺(ついな)」は、「鬼やらい」や「儺(な)やらい」とも呼ばれる鬼払いの儀式で、中国の「大儺(たいな)」という行事がルーツになっていると言われています。
この「大儺(たいな)」の起源については、研究者の中でも諸説分かれています。
しかし、少なくとも中国の儒家経典「周礼」(しゅらい:紀元前11世紀頃に成立した周王朝初期の記録書)には、後の大儺に似た行事について書かれていることから、その時代には既に儀式として確立していたことが分かります。
『続日本紀』によると、その「大儺(たいな)」が日本に伝わったのは飛鳥時代。
文武天皇の頃(西暦706年頃)に疫病がはやり、各地で多くの死者が出たため、疫病を追い払うために中国にならって「大儺」という儀式が行われたと記録されています。
ただし、飛鳥時代にはまだ宮中の年中行事としては定着しておらず、浸透したのは平安時代でした。
平安時代には、『延喜式(えんぎしき)』や『源氏物語』など当時の文献にも見られるように、旧暦12月30日に宮中の年中行事として「追儺(ついな)」が行われたことがくわしく記されています。
それによると、行事を仕切っていたのは「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる役目を負った人で、黄金の四つ目がある面を付けて矛と盾を手にしていたといいます。方相氏は宮中の子どもたちを従えて「鬼やらい、鬼やらい」と唱えながら大内裏の中を歩き回り、疫病をふりまく鬼を撤退させていたそうです。
豆をまくようになった由来
豆まきの風習が始まったくわしい時期については、定かではありません。
鎌倉か室町時代頃と言われていますが、文献等に見られるようになったのは室町時代からです。
室町時代の『壒嚢鈔』(1445年~1446年)という辞書には、「節分夜打大豆事」という項目があります。
それによると、宇多天皇の時代(867年-931年)、京都の深泥池の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らしていたのを、鞍馬山(くらまやま)の僧正が退治した話が書かかれています。
僧正は「三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れた」そうです。
その後、祈祷(きとう)して、鬼の出てきた石穴を封じました。
【節分のナゼ2】節分になぜ豆をまく? 鬼が豆を嫌いなワケ
日本では、古くから穀物には邪気を追い払う力があるとされてきました。
穀物の中でも、特に「豆に魔よけの呪力が備わっている」という考えには、古代中国で大豆や穀物を使って呪術が行われていたことが日本に影響したとも、マメという音が魔滅=魔を滅ぼすことに通じるためだとも言われています。
また、豆まきに使う豆は「炒った豆」である、ということにも深い意味があります。
- 「炒る」という言葉が「射る」に通じるから
- 鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を炒ることで、鬼を封じ込める作用があるから
- 「まいた豆から芽が出てしまうと縁起が悪い」とされていたから
など、諸説あります。
こういったことから、邪気(=鬼)が嫌う豆をまくことで災難を追い払い、豆を食べることで「鬼を退治した」として無病息災を願うという風習になっていったと考えられます。
【節分のナゼ3】渡辺さんが豆まきをしないワケ
いろいろな文献を調べている中で気になったのが、「『渡辺』『坂田』姓の者は節分の豆まきをしなくてもよい」という説。
実は、私も旧姓は「渡辺」なので、気になって由来を調べてみることに。
その結果、京都の大江山にまつわる鬼退治の伝承が元になっていることが判明しました。
平安時代、大江山の酒呑童子が多くの鬼を従えて都を荒らしまわっていたため、源頼光が坂田金時や渡辺綱など「頼光四天王」と呼ばれる家来を従えて鬼退治に行ったという伝承があります。
後日、酒呑童子配下の鬼・茨木童子が仇をとるために源頼光たちを襲撃しましたが、渡辺綱によって返り討ちに遭いました。(伝承の内容に諸説あり。京都の一条戻橋で、鬼の腕を名刀「髭切(ひげきり)」で切り落とした逸話が有名)。
このことから、鬼は「坂田」姓や「渡辺」姓を名乗る一族を恐れ、その子孫にも近づかなくなり、豆まきをせずともよいと言われるようになったそうです。
それにしても、わが家では毎年ふつうに子どもの頃から豆まきをしていたので、実際に豆まきをしない「渡辺」さんがいるのか大変気になります。
というわけで、周りの「渡辺」さん達(私の知る限りなので少ないですが……)に実際のところを聞いてみました。
「生まれてから一度も豆まきをしたことはない。」(60代男性)
「聞いたことがあるが、イベントとして撒いている。」(40代女性/30代男性/20代女性)
「最近知ったが、普通に子どもの頃から豆まきはしていた。」(20代女性/30代女性)
ちなみに「一度も豆まきをしたことがない」と答えた人は京都の出だったので、もしかすると本当に渡辺綱の子孫という可能性も……?
【節分のナゼ4】正しい豆をまくやり方は?
もともとの豆まきの作法としては、炒った豆を前日から神棚にお供えし、鬼がやってくるとされる夜に豆をまくというものでした。
昔は豆をまくのは家長もしくは年男の役割とされていましたが、家父長制度や家制度などが廃止された現代では、家族全員で行うというご家庭が多いですね。
家の奥の部屋から順に玄関に向かって「鬼は外」で窓などから外に向かって豆をまき、窓を閉めてから「福は内」と言って部屋に豆をまいていきます。
最後に、まかれた豆を年齢の数(数え年の数)だけ食べます。
【節分のナゼ5】節分に恵方巻を食べるワケ
恵方巻きとは、節分の日に恵方(縁起の良いとされている方角)を向いて太巻きの巻き寿司を食べ、1年の無病息災や商売繁盛を願うというもの。
もともと太巻きの巻き寿司であれば具材の種類は問わない(というより文献に詳しい記載がない)のですが、七福神の「7」に由来して7種類で巻くと縁起が良いとされています。
古くからある豆まきに比べると、恵方巻の風習はそう古くありません。
江戸時代末期に大阪の船場で商売繁盛の祈願として始まったとする説など、複数の説がありますがどれもはっきりとしていません。
恵方巻を食べる際の作法としては、食べている間はしゃべらず、縁を切らないように「切らず食べる、丸かぶりする」というのが正しい食べ方でもあるようですね。
【節分のナゼ6】節分にイワシの頭を飾るワケ
柊鰯(ひいらぎいわし)の風習は、『土佐日記』によると、平安時代にも既に似たような風習があったことがうかがえます。
そのころは正月の門口に飾ったしめ縄に、ヒイラギの枝とボラの頭を刺していたそうです。
元は節分ではなくお正月飾りの一つであったのと、当時はイワシではなかったというのが驚きですね。
現代と同じく節分の魔除けとして飾られるようになったのは、江戸時代から。
文字の通りヒイラギの小枝と焼いたイワシの頭を門口に飾っていたそうです。
これを飾ることで、ヒイラギの葉のとげとイワシのにおいを鬼が嫌がって逃げていくとされていました。
ことわざで、「イワシの頭も信心から」という言葉があります。
これは「一旦信じてしまえば、イワシの頭のようにつまらないようなものでも、ありがたく思える」という意味で、信仰心の不思議さを表現しています。
「柊鰯(ひいらぎいわし」という風習から生まれた言葉ですが、当時の人たちも「本当にこれで厄除けになるのか?」と思っていたのかもしれませんね。
気軽に伝統行事を楽しもう
節分に豆まきや恵方巻を楽しむ方が多いと思います。
ただし、小さな子ども(特に3歳未満)の場合、豆をのどに詰まらせるなどの事故も多いので気をつけましょう。
炒り豆を食べても大丈夫な年齢は、だいたい3歳ごろからです。
あまり食べると消化不良でお腹をこわしてしまうこともあるので、少量ずつ……それこそ3~4粒くらいが丁度よい量です。
誤飲を防ぐために、まいた豆の拾い忘れにもご注意くださいね。
また、恵方巻も小さな子どもには海苔がかみきりにくく、食べにくいので気をつけたいもの。
市販の恵方巻きを買うのは大人用だけにして、お子さん用には好きな具材の自家製ミニ海苔巻きを作ってあげるのがおすすめです。
海苔の穴開け器やフォークなどで海苔に穴をあけてあげると、かみ切りやすく食べやすいですよ。
最近では恵方ロール(ケーキ)など、種類もいろいろありますし、各ご家庭に合った方法で楽しんでくださいね。
参考資料
鈴木棠三 著「日本年中行事辞典」角川書店, 1977
三隅治雄編著「全国年中行事辞典」東京堂出版, 2007
新谷尚紀 監修「日本のしきたりがわかる本」主婦と生活社, 2008
Alexandre GRAS 「追儺における呪文の名称と方相氏の役割の変化について」
虎尾俊哉著『延喜式』吉川弘文館, 1964年
山口建治著「オニ(於爾)の由来と「儺」」『文学』岩波書店, 2001年